1989  これじゃ、日本には帰れない

新年のニューヨーク

ブロンクスの黒人教会の前にある公園内で友人「E」と。徒歩7、8分の所にヤンキースタジアムがある。
25日の、holly night が静かに終わり、また寒さが身にしみる日がつづく。

日本の年末の慌ただしさと違い、ニューヨークの街はゆったりとした時間が過ぎて行く。
異国で年を越すという初めての出来事に何か複雑な想いもしていた。ここに来ての半年は、あっと言う間であり、また反面とても長かった様でもあり、矛盾する ようだがどちらも実感としてあった。
異国を旅してる感はとっくになくなっていて、今は異国で生活しているのだ。言葉も文化も習慣も全く違う環境に住みつき年を越えようとしているのだ。

31日の、42丁目でのカウントダウンで、すさまじい歓声と共に1989年がスタートした。
日本の除夜の鐘を聴きながら静かに新年を迎えるのとは大違いで、集まった群衆がカウントダウンされる
電光掲示の数字と一緒に大声で「three, two, one 」と叫び、ニューイヤーを喜び合う姿には驚かされた。
皆それぞれ近くの者同士で握手、ハイタッチ、ハグ等し合って「Happy new year ! 」と言い交わす。
だが僕の感じでは、群衆の多くは、暇そうな若者達で、なかにはすでに酔っている者も多くて、なにか危ない匂いもした。そのせいか、辺りには騎馬警官隊がパ トロールしている。
マンハッタンのど真ん中を馬に乗り、蹄の音を響かせながら警戒してる姿がまた、いかにもニューヨークらしかった。

この半年での刺激的で、面白くて、時にたまらなく切ない時間は僕を完全に魅了していた。
なぜもっと早くからここに来なかったのかと後悔の念を抱く程、ここでの時間は僕の心を捕らえ続けていたのだ。言い方を変えれば、「価値観」が少しずつ変っ て来たのだろう。
そしてこの「価値観」の変化は僕のなかで、何か貴重なものがここにいれば見えてくるという期待感を産まれさせていた。 これじゃ、日本には当分帰れない!

いつ終わるとも知れない42丁目の騒音を後に、一緒に来た仲間達とも「Happy new year ! 」と別れの挨拶を交わして、僕は42丁目からサブウェイで帰途についた。

さすがにこの日は深夜だというのに乗客が多く、深夜地下鉄の危険感はなかった。

ナベちゃんの「ハラキリ」事件

ジャパニーズレストラン「D」にはいろいろなウェイター、ウェイトレス達がそれぞれ様々な思いで働いていた。入れ替わりも激しくて店の入り口横の ウィンドウにはいつも従業員募集の張り紙が貼ってある。

ナベちゃんは20才を越えたばかりの青年で、昨年の秋頃ウェイターとして入ったばかりのビギナーだった。日本の大学を休学してニューヨークに来たの だという。長髪で痩せ形、柔和な顔立ちで性格も静かでおとなしい青年だ。大学ではバンドをやっていてギターを弾いていたらしい。
こちらからいろいろ聞かないと自分の事はあまり語らないタイプだった。

社交性の薄い彼だったが、僕らの後を追ってやって来た「J」を気にいったらしく、彼には何でも話していたらしい。互いに同世代の音楽を目指す者同 士、話も弾んだのだろう。当時まだ「J」と一緒に住んでいた僕は彼を通じてナベちゃんの事は耳に入っていた。

今思えば、ナベちゃんの心の中はこの事がきっかけとなって急速に変化していったのかも知れない。
それはニューイヤーズイブの新年を迎えようとする数時間前に起きた。

その日マネージャーの「K」さんから説明されていた事は、この49ストリートはカウントダウンに向かう群衆の通り道で、時にはとても危険な状況にな る場合もあるので十分気をつけなければという事だった。
この日の営業は特別で夕方までで閉店し、その後皆なで大掃除をして明日から新年の3連休に入る。
何よりの楽しみはこの日全員に配られる社長からのお年玉だ。
日本のありがたい習慣がここでも活きていたとは!これに関しては文句なく嬉しい。
その後全員で年越しそばを食べお開きとなる。

そばを食べながら通りの方を見ると「K」さんの言ったとおりすごい数の人々がブロードウェイの方向に向かい流れ始めている。想像していた数よりはる かに多いのに驚く。車道まで埋め尽くして歩いて行く。
お祭りさわぎに浮かれる姿そのものだ。酔っぱらって叫び声をあげてる者もいてその大声が店の中まで響いて来る。

その時何を思ったのか、ナベちゃんが店の玄関を開けて外に出て行った。
何をしに外に出たのかと皆で様子をうかがったその瞬間、通りがかりの2、3人の黒人の男達がナベちゃんを引きずり倒した。その勢いでナベちゃんの身体は地 面で回転してうずくまった。
店の中の入り口ドアに一番近い席でその光景を目にした僕は驚いて恐る恐る外に出た。
その連中はもう先に進んでいて誰だったのかもこの人の多さでは確認できない。ナベちゃんを見ると蒼白な顔で呆然と座り込んでいる。
「ナベちゃん!大丈夫か?」僕は尋ねながら傷とかの確認をする。見た所血は出ていない。よほどのショックだったのだろう、ナベちゃんは声を出しては答えら れずまだ目がうつろだ。
さっき見ていたが、転んだ後に殴られたり蹴られたりもしていなく、ただ奴らの通りがけの悪戯の相手にされてしまったとしか思えない、ほんの一瞬の出来事 だった。
すぐあとから追って店から出て来た数人で急いでナベちゃんを抱え起こし店のなかへ運び込んだ。
けがは無く自分一人でも歩けたので皆とりあえず安心した。

しばらくして、さっきまで恐怖のせいか小刻みに震えていた身体もようやく落ち着きはじめた。
「一体何があったの?」皆が聞くが、ナベちゃん「・・・・・・」何も話さずにただ首を横に振る。
結局原因はナベちゃん自身でさえわからず仕舞で終わり、ただナベちゃんに大事がなかった(少なくともこの時点では)事が幸いとして、この後解散した。

正月休みも終わりまた「D」は元通りの営業を開始した。
新年も数日が過ぎると観光客もほとんどが日本に帰り、普段よりヒマになる。
ナベちゃんも普通どおりに出勤してホールに出ていた、‥様に見えた。

ナベちゃんの異変に気付いたのは一緒のシフトで仕事をしているウエイター、ウエイトレス達だった。
1月も半ば過ぎたある日ウェイターの一人が僕の所に相談に来て言った。
「ナベちゃんの事ですが、最近仕事中に何か独り言を始めて、なんかおかしいんです。」
「えっ、どういう風におかしいの?」
「突然、あー、わからない!とかつぶやくので、仕事の事かと思い、どうしたのと聞き返すとまるでこちらの声など聴こえてない様にだだ前方を見つめて繰り返 しつぶやき続けたりするんです。」
「へー、何回くらいそういう事があった?」
「最近はけっこう頻繁で、ヒマな時には何か訳のわからない長〜い独り言も言ってますよ。絶対何かおかしいですよ。オイさん、一度ナベちゃんと話をして見て 下さいよ。」
「ああそう。全然知らなかった。OK.様子をみて話してみるよ。」

普段僕はフロントワークなので、ウェイター達との接触は仕事に関する短い会話だけで、彼から聞いたナベちゃんの様子の変化など全く気がつかなかっ た。
それからはホールの中でのナベちゃんの行動を注意して見るようにしたが、仕事ぶりを見てる限りではこれと言った問題は何も無く、ちゃんと仕事をこなしてい た。客からのナベちゃんに対してのコンプレイン(苦情)もないし、もしその問題が本当ならばどうやらヒマな時に起きるらしい。
時々仕事の間にさりげなくナベちゃんに近づき聞き耳をたててみたりもしたが、その時も問題がなかった。ただ一つその日に気になった事は、ナベちゃんが一人 で立って、ヒマそうに料理が出来上がるのを待ってる時に何やら思い出し笑いのようにニヤケている様子を遠くから垣間見た時だ。
でもそんな事誰にだって良くある事だ、とも考えたがやはりどこか気になった。

ナベちゃんの仕事終わりの帰りがけに声をかけてみた。よくある仕事上の話としてだったが、彼の返す話も理にかなっていたので、それ以上込み入った個 人的な話へと進ませる事も変だと思い、お疲れ様と言って別れた。


ナベちゃんの「ハラキリ事件」 その2

決定的なナベちゃんの異変に気がついたのは、その数日後だった。

初めてやはりおかしいと確認できたのはナベちゃんと軽く世間話を交わした時だった。
彼が最近見た誰がしかのロックコンサートの話をした時で、そのコンサートの内容は何も話さず、その帰り道で彼が感じた「気になる事」の話だった。

「コンサートの後帰ろうと外に出た頃から誰かに見張られている感じがしていて、それから家へ戻るまでつけられていたんです‥‥‥‥。」と始まった。
僕は心の中で「お〜、キタ、きた、来た〜!」と思いながらも平静を装い更に話を引き出そうと、
「えっ、そんな事があったの? それでどうしたの?」と聞き返した。
「その時は何も起きなかったんですけど、それから周囲が気になってしょうがないんです。」不安そうな顔で言いながら続けた。「あれはきっとポリスだと思う んです‥‥」
僕は一瞬笑い出しそうになったが、それを堪えて顔は不安に同調させて見せた。
どう考えてみても私服の警察官がナベちゃんを見張り追跡調査する理由がありえないと思うからだ。
ナベちゃんが何か犯罪組織の一員ならまだしも、あらゆる可能性を考えてもそれはありえない。
「なぜポリスだと思うの?」僕は彼の話に驚いた風には見せず、逆に冷静な感じを見せて聞いた。
「それは‥‥、でもそうなんですよ。」

僕がすぐに想像出来たのはドラッグ関係の事だった。ここに住んでいればドラッグにかかわる事は驚く程
easy で、誰もがその気になれば簡単に手に入る。おそらくナベちゃんも「葉っぱ(マリワナ)」コケイン、何らかをやっていたのだろう。彼の性格から判断すると、 多分それに罪悪感を持っていたのだろう。それにしてもナベちゃんが密売組織の売人でもない限り警察にマークされる事などありえない。
まして、NYPD (NewYork Police DepArtment) いわゆる、ニューヨーク市警の忙しさを考えればそれは冗談にしか成り得ない。
なんという「イノセント=無垢」、あきらかな被害妄想。
でも「あれはポリスだ」と言い切ったナベちゃんに、その時僕は、そんな事はあり得ないと理論立てて説明しても無駄な気がして何も言い返さなかった。
そしてナベちゃんの異常はこの後数週間にかけてエスカレートして行った。

誰もが確認できたナベちゃんの異常さの決定的瞬間は、2月のある日仕事中に起きた。

ガチャーン!! 店のホールの奥で金属性のトレイの落ちた音が響いた。
料理を客に運ぶ為のお盆だ。店内が暇で静かだったせいか大きな音で響いた。
何事かと思いながら奥に行ってみると、落としたトレイの前でナベちゃんがしゃがみ込んで何やらつぶやいていた。つぶやく、と言うより、小声で泣きわめいて いた。
側にいたウェイター、ウェイトレス達は近づいて来た僕に任せたと目で訴えて少し離れて様子を見る。
「どうした!ナベちゃん!大丈夫!?」
声をかけるが彼は頭を抱え込みもがき続ける。何を言っているのか良く聴き取れない。客の目を気にして僕は彼を立たせてキッチンの奥へ連れて行った。

「僕だけなんです!僕だけがまだなんです!」彼は半泣きで訴える。僕は何の事かわからず聞き返す。
「何が?何がまだなの?」
「僕だけ、僕だけがまだ死んでいないんです!!ウヮーーー!!」
「・・・? えっ???・・・・・・えっ、えー!」

そのあまりにも想像を超えた言葉に僕は一瞬夢を見てるのかと思う程だった。
周りにいたキッチンスタッフ全員も手を止めて何事かと見守っていたなかでの衝撃的な一言だった。その一言は、一瞬辺りを静寂にして響き渡った様に全員の耳 に残ったのだろう。全員が互いに目配せをし合いながらこの先の展開を見守ろうとしていた。言葉が解らないアミーゴ達でさえその場の異様な雰囲気を感じ取り 興味深げに見ている。これはただ事じゃないと感じたのだろう、レゲエの「T 」さんがすぐに近寄って来て僕に言った。
「オイさん、とりあえずナベちゃんを下に連れて行き、そこで話しましょう。僕も一緒に行きますわ。」と言い、すぐに部下に普通通り仕事を続ける様にと指示 した。僕もヘッドウェイターの「コウイチ」にホールをまかせナベちゃんを連れ3人で下に降りた。
下と言うのはベースメント、地下の事で、この店の食材の置き場と小さい休憩室などがある。
そこの休憩室でもナベちゃんはまだもがき続けていた。「僕だけがまだ死んでいないんです!」と。

「どないしたんや? なべちゃん、ここなら何でも話してええよ!」
「T」さんが柔らかい口調で話しかける。人の心の苦しみを良く知ってる人だと分る話し方だった。
ナベちゃんは相変わらずまだ苦しげな表情で嘆きながら言った。
「Tさんも、オイさんも他の皆も全て一回死んでいるのに、僕だけがまだなんだと解ったんです・・。」
「何ゆうてんねん。人間死んだら終わりやん!僕もオイさんも皆な死んだ事なんてない!」
「違うんです!皆な死んだ事があるから今普通に生きていけてるんです。僕は一回も死んでいないから
苦しまなければならないんです!」
僕とTさんは互いに目を合わせ、どう対処していいのか分らず返す言葉に迷った。というか、話にはなって行かないと互いに感じ合った。

なにやらカルト宗教にはまった信者の様なそのナベちゃんの話は、僕ら二人の理解を完全に超えていて、その後も苦しみに満ちた顔で同じ事を繰り返す彼 の話を、僕らはただ聞いてあげる事しか出来なかった。
と同時に、話が話だけにとても「危険」な感じがして不安につつまれた。
もし医者がそこにいたら、おそらく睡眠薬を投与してとりあえず眠らせてしまうのだろうが・・・。

僕がその後ナベちゃんに言えた事は、おそらく彼にとっては何の慰めにも解決にもならない、全く意味の無い事だったろう。
「ナベちゃん、今日はもう早く家に帰って、ゆっくりお風呂でも入り温まって寝たほうがいいよ」

何の解決にもならないのは分りきっていた。
なぜなら彼にとって唯一の解決策とは「一回死ぬ」事なのだから・・・・・・・。

To be continued

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