1988 ニューヨークのクリスマス

Christmas in NY 本当のクリスマス

マイアミから戻ると、もうNYは、肌寒く、秋も深まって、いよいよ冬へと向かう感じがした。
街行く人達の服装も厚手の物が目立つ。東京を出る時、まさか冬までいるなんて思ってもみなかったので、当然厚手の服など持ってはいなかった。
前に説明した、レゲエのTさんが、コートやジャンパー等、安くていい物があるという店に連れて行ってくれると言うので、早速行ってみることにした。

イーストヴィレッジを更に下ると、もうマンハッタンの先っぽで、倉庫などが目立つ町並みのなかに、おそらく日本でいう、卸し業のお店が並んでいた。それもその細長いストリートの両側のほとんどの店が、洋服関係のストアだ。僕らはそのなかの、革製品専門の店に入った。店鋪は狭くて、商品の配置もあまりこだわらなくてただ、所狭しと色んな物が置いてある。確か、ここからそんなに遠くない所に、Soho というおしゃれな街があり、そこには、トレンディーな店がひしめいている。Tさんが言うには、Sohoは場所だけで値段が高くなる。捜せば、ここでもイイ物がいくらでもある、という事だ。

僕はよくある黒革のコートを物色し始めた。
NYの冬は皆、口を揃えて寒いと言う。ロングコート、ハーフサイズの物隙間なくギッシリと詰め込んでハンガーに吊るされてならんでいる。Tさんが別のコーナーから声をかけてきた。
「オイさん!(僕の昔からのニックネームで、人に教えると簡単なせいか、すぐに覚えられるので、皆こう呼びはじめる) ちょっと、これなんかどないです?」
決まらなくて迷っていた僕は、すぐにTさんの方に行ってみる。彼はニコニコ顔で、イイモノ見つけたと言わんばかりに、手にしていた品を僕に差し出す。それは、僕の頭のなかにはまるで思い浮かばなかった物だった。まず、その色!鮮やかなオレンジ色!薄手のなめした革で作られた丈の短いコートだ。

形はともかく、その目に眩しいほどのオレンジ色に僕は戸惑った。
東京にいた頃は、まず着たことのない色だ。僕が躊躇したのを読み取ったらしく、彼はすぐにこう言った。「この色、いい感じやないですか。1品だけで他に同じのないですよ。こういうの、この街に似合いますよ。」

彼から手渡されたそのオレンジコートを手にし、僕の頭の中はグルグルとまわり始める。自分自身に革命を起こすような、高揚した気分。たかがコートひとつで、何を大袈裟な、と思うかもしれないが、その時の僕には、新しい自己改革への手始めの儀式の様に思えた。・・・このオレンジコートを着るという決断が・・・・。

その店を出る時、僕はもうオレンジコートに包まれていた。
ストリートを歩き、窓ガラスに姿を映しては、新しい自分を確認していた。
このコートに包まれた身体は勿論、心のなかまで暖かかった。(このHPのトップページに載せた僕の写真で着ている物が、実に、この時買った、自己改革儀式のオレンジコートなのです)

Thanks giving (11月の末にある感謝祭で、日本のお盆のように、休みをとり、家族と過ごし七面鳥を食べるのが恒例)も終わり、またNYの街に皆戻って来た。
12月に入ったNYは一段と冷え込んで、街行く人々の歩きもスピードが増す。僕の働くレストランの「D」も鍋物が人気になってきた。英語版のメニューでは、" Japanese Bouillabaisse " 日本のブイヤベースと説明していた。

そんなある日のこと、店に5人の、一際目立つお客が入って来た。全員ドレッドヘア−の黒人達だ。フロントで対応した僕は、おそらくバンドのミュージシャン達だと思ったが、僕にとって、一目でわかる程の有名バンドではなかった。僕は彼等にお決まりの "Hi, smokin' or no smokin'?"というセリフで近付くと、彼等の一人が " Can I see Mr.T ?" 「 Tさんに会えるかい?」と言ってきた。
彼は綺麗にTさんの名前を発音したので、僕にもすぐわかった。そのやりとりをキッチンの奥から見ていたらしく、すぐにTさんがフロントまでかけつけた。

「オイさん、彼等、僕の友達です。オイさん、見た事ありません?彼等、ウェーラーズですよ。あの、ボブ マーリーの。NYでライブやるんで来てるんですよ。まあ、とりあえずどこかテーブルにつけてやって下さい。」  僕の耳はTさんの言葉に集中し、目はマジマジと彼等一人一人を追いかける。
「ボブ マーリー・・・、ウェイラーズ。・・・・・」僕の頭のなかでは何回もこの言葉が鳴り響いていた。 1970年はじめに台頭し、あっという間に世界を魅了したレゲエミュージック。そのカリスマ、ボブ マーリー&ウェイラーズ。大好きで擦り切れるほどレコードを聴いた。
そして衝撃的なボブの死。

確実に音楽史に残る業績をあげた彼等。だがボブの死後の活動は全く知らなかった。このあと、Tさんに彼等を紹介してもらい、彼等がNYに来る度に会わせてもらえる事になるのだが、聞いたところによれば、ボブ マーリーの死後ギターの、ジュニア マ−ヴィンがリーダーとなりウエィラーズを続けているのだという。
ジュニアは実に気さくで、思いやりのある静かな男で、そのステージで見せる、セクシーで野性味あふれる姿を思うと、普段の彼とは別人のようだ。

NYに来る度に、Tさんと僕を宿泊さきのホテルの部屋にまで入れてくれ、ライブには何回も招待してくれた。Tさんの、その人間性やレゲエ好きは、ジュニアでさえもNYに来る度に、彼に会いに来させる程の何かがあった。

彼の少年のようにキラキラ光る大きな目をみれば、その何かが、分かる様に思えた。

Tさんの写真も紹介したいのですが、訳あって、載せる事ができません。残念!
どなたか、Tさんに心当たりのある方(当時ニューヨークで僕らをご存知の方等)は是非情報をお知らせ頂きたいです。もう一度、とても会いたい人なのです。
Tさんが、このページを見る事を祈ります!

i really miss u !

ジュニア マ−ヴィンと。アフリカンミュージックやラテンミュージックのライブで有名なクラブ「S.O.B」の楽屋で。僕の目がうつろなのは何故か?それはご想像におまかせします。

I wish you a merry X'mas !

この年のNYでの初雪は、12月11日の日曜日だった。

夜、シャワーを浴び、髪が完全に乾かぬまま外に買い物をしに出かけると、10分も歩かぬうちに、その濡れていた部分がパリパリと凍り始める。何と言う寒さ!これがNYの冬なのかと驚きはしたものの、どこか子供に帰った様に楽しめたりもした。
街はもうクリスマスムードでいっぱい。話には聞いていたが、その盛り上がり様は、想像を超えていた。これから迎えるクリスマスに向かい、街も、人も全てが吸い込まれていく様に思えた。 特に、街の夜景が変わる。何ともロマンティックで、優しさに満ちあふれ、ただ歩いているだけで、自分が、まるで映画のなかにいる主人公のような、錯覚をする程だ。

クリスマスキャロルがそこら中で流れていて、その度につい、一緒に口ずさんでしまう。
あらゆるお店がクリスマス用のデコレーションで綺麗に輝く。神の誕生を祝い、誰もがその恩恵に授かろうという思いが伝わってくる。特に、その柔らかく、淡いライティングは、街全体を照らし出し、人々の心のなかにまで光りを注ぎ込む。 みんな、幸せになろうね、とでも言う様に。

その灯りは、きっと癒しの効果も兼ね備えているのだろう。
NYに住んで、最初に思った事の一つに、このライティング(照明)の日本との違いの事がある。日本では蛍光灯の、白い明かりが多いのだが、ここではオフィス等以外、まず使われない。ここの電球での照明は落着き、時としては、淋しさを募らせ、また時には、甘くロマンティックな気分にさせる。

クイーンズのアストリア。マンハッタンからNトレイ
ンで15分ほどの、高層ビルのない静かな街にです。

マンハッタンを出て、自宅のあるクィ−ンズ地区のアストリアに帰ると、これがまたステキなのだ。
住宅街で一戸建ての家が多く、各ブロックを別ける道の両側には木立が並ぶ。マンハッタンとは違い小さなお店や、小さな建物が多いが、クリスマスの飾りつけは、負けずと綺麗にしてある。 なかでも、熱狂的なクリスチャンの家は、競うようにデコレーションする。まず、家の形を浮き彫りにするように、屋根から下まで電球を張りめぐらし、目立つ箇所はその灯りを点滅させ、それはもう、家自体がクリスマスツリーそのものだ。そんな家がそこらじゅうに現れるこの時期は、普段暗い場所も、そのイルミネーションのおかげで、明るくなる。

しかし、考えてみれば、異教徒も多く住むNYで、このクリスマスに関して問題は起きないのだろうか? 僕の知っている限りでは、何の問題もなかったように思えた。 いや、それとも僕があまりにも無知で何も気がつかなかっただけなのか。 そういう僕など、ジーザス クライストどころか、お釈迦様さえ無関心な、完全な無宗教なのだが・・・・。
クリスマスムード一色に染まる、ここNYの何とも言えぬ、初めて味わう温もりと、人々の喜びを感じて、そんな堅い宗教観など、すぐにかき消されてしまった。
少なくとも、僕には、一時でも「平和」が見えていた。それで十分だった。

クリスマスイヴがもうすぐそこに迫って来た。
花屋の前には、ツリー用の本物のもみの木が山の様に積まれている。 よく行くスーパーマーケットの「ウールワース」(全米にチェーンを持つ、巨大なストアーで、何でも置いてあり、値段も安い)で、クリスマスカードのコーナーに目が止まる。
恐ろしい程さまざまなカードが並んでいる。
そういえば、友達になった何人かに、カードを送るから住所を教えてと言われ、教えた事を急に思い出した。 そうだ、僕もカードを送ろう!

友達の少ない僕にとって、それぞれのキャラクターに合ったカードを選び出す事は、たいした手間ではなかった。むしろ楽しいひと時だった。
ささやかなプレゼントも添えて、感謝をしたい人も何人か思い浮かぶ。 ひとに対して、こんなに素直に自分の想いを伝えたくなったのは、自分でも不思議なほどだった。
ひとの幸福を願う気持ちが、自分もこんなに安らぐ事が、少しだけ分かったような気がしていた。
そして、幸福だった。

ここに来てまだ半年。だが確かに自分の内で少しづつ何かが変わってきているのがわかる。この街の持つ独特な力が変えさせるのだろう。New York 。独特な空間。12月のNY。

外気の冷え込みとは反対に、人の心は暖かくなる12月。
ああ、ますますこの街に魅了されていく。

仕事場のレストラン「D」ではイヴのパーティーの話で盛り上がっていた。
営業の終わった後、やはり、ここのフロントで働く「シモ」さん宅で楽しもうと言う事らしい。参加費はないかわりに、各自で飲み物や食べ物を持ち合う形だ。そのうえ、社長から幾らかの援助金も出るらしい。参加の意志を聞かれ、勿論参加する事を告げた。
この店「D」の従業員は、ウエイター、ウエイトレスを入れ、約30名程。さらに同じ会社の他店からも何人か参加者がいるらしい。勿論参加しない人もいるが、それにしても普通のアパート暮しのシモさん宅で納まりきるものかと思っていた。

イブになった。
行き交う人々は、誰かまう事なく " Merry Christmas" と声をかけあう。クリスマスは最高潮だ。間違いなく1年中で一番盛り上がる日だ。レストラン「D」も、この日は少しだけ営業を早めにきりあげ、パーティーの準備に切り替えた。キッチンでは料理長のSさんが、パーティー用にと、唐揚げ等を作っていた。 シモさん宅は店から歩いても5分位の所らしい。僕はまだ遊びに寄った事がなかったので、他店から参加の「Ka」さんに連れていってもらう事にした。

「Ka」さんは、僕の東京からの相棒のチッコと、「E」の働く店のマネージャーで、その関係で最初から親しくしてもらっていた。まだ若いのによく気のつく人で、人を楽しませるのがとても上手い。 シモさん宅に着く。小奇麗なアパートで、部屋は「studio」、いわゆるワンルームの事だ。すでに20人位集まっていた。そのせいかとても狭く感じた。シモさんは、僕が「D」で見習いマネージャーとして働き始めた時から、仕事を教えてくれた人で、当時まだ20代前半の若者だ。 そしてやはりNYでの生活を楽しんでいる一人だった。今回のパーティーも彼が企画したのだ。

そこに集まった全員を僕は知っていた。キッチンで働くメキシカンのアミーゴ達もいる。普段からTさんがよく面倒をみているので、今日もよんだらしい。僕も、店で暇な時は、彼等から簡単なスパニッシを教わった。安い賃金で働く彼等は、極端にいえば、ある意味でアメリカ経済を支えているのだ。
ウエイトレスの「シン」さんもいた。彼女はチャイニーズで、僕よりずーっと前から働いている。
「D」では、アメリカで10数年も住み、アメリカンのワイフを持つ者もいるが、さすがに彼等の顔は探してもなかった。 すでにグリーンカード(永住権)を持っている彼等は、アメリカでの日本人社会の枠には、はまりきらないのだ。ましてここでは、クリスマスは家族と過ごすのは常識だ。

静かな、でもとても落着くパーティーだった。
大騒ぎする事もなく、いつも仕事で顔を会わす者同士なのだが、愚痴話しもなく、しかし白ける者もいない深夜の宴だった。

生まれ故郷を離れ、それぞれ、きっといろんな想いで、ここに生活している者同士。込み入った話など言い出せばキリがない事は、ここにいる全員が、わかっている。ただ飲んで、今の時間を楽しむ事を知っている。 今まで味わった、日本でのクリスマスパーティーとは、あまりにも違う、アメリカの日本人社会でのパーティー。でも今までで、一番心が和んだものだった。
やはりここは、NYなのだ。

" This is NY,man ! "  そして、NYでの最初の年も終わりに近づいていた。

Verry Merry Christmas !!

To be continued

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