"Cool stud " by Oi
1988 New York #3 仕事にありつく
Easy interview (簡単な面接)
NYに刺激され、魅了され2、3週間経った頃だったろうか、所持金も乏しくなり、でも日本に帰る気はさらさら無く、それならば何か仕事はないものかと考え始めていた。
Chicko の行動力はいざという時にはいつもすばらしく、早速仕事探しに行こうと僕を連れ出しホテルを出る。べつに下調べをしていた訳でもあてがあった訳でもなく、この1週間位の間、街をふらついていた時に目に着いた、そして何よりも気になっていた数々の日本レストランの求人広告ー通り側の窓や、入り口付近に日本語で貼ってあったーが頼りだった。二人で、今日は一日かけても出来る限りあたってみようと決め、出かけたのだ。
歩き始めて5分、ブロードウェイに出る。最初のレストランに出くわす。
ウーム、ある、ある。募集してる。何か高級店らしい構えだ。こんなところではたして雇ってくれるのか、、、。 でもここは NY, ここの勝手は考えてもわからない。ならば早速尋ねてみよう。
ドアを開け、外の風景とは一変した日本の風情に会い、少し戸惑った。客ではないことを告げると、マネージャーが現われた。スーツ姿のそのマネージャーは店の構えにくらべると、話し方、しぐさ、表情など全てが、思ったよりラフで気安い感じだ。そのマネージャーは、今ここは人手が足りている事を僕らに告げた。しかしすぐに、そうだ、チェーン店がまだ募集してるかもと言い、連絡をとってくれた。
するとそちらの方で会ってくれるという事になり、僕らは今度はそこから歩いて3、4分の、49ストリートにあるという店に出向いた。
今度のマネージャーはなんと黒のタキシード。名前を、「テリー***」と自分を紹介した。しかしやはりその雰囲気は気安く、ラフで、その姿からは思えない程、何と言うか、とりつきやすい、のである。
日本語と、かなり頻繁にでる英単語を交えながら、純日本人のテリーさんは面接してくれた。それまでの経験で間違い無く、一番緊張感のない面接だった。そしてなんとその場で雇ってくれたのだ。
今だからいえるが、この事は勿論違法である。観光ヴィザしかない僕らが働ける訳がない。しかし現実は働けた。当時は今程うるさくなかったのだろう。
しかしこの時テリーさんの言っていた "immigration" (移民)という言葉が、その後、色んな意味で頭の隅に残るようになった。 なにはともあれ、一回目の面接で仕事がみつかったのである。
因みに、僕は寿司バーでの見習い、(このあと職種は色々変わるのだが)Chicko はカラオケパブのマネージャー見習いであった。
報酬は週給で、たしか、250ドルだったように記憶する。
おなじ店で共に働くメキシカン達(アミーゴース)はそれよりさらに安く雇われていた。
ここはアメリカなのである。
*** get used to(〜に慣れる)
何かをやり始めて時間が経ち経験をつむと要領がわかり慣れますね。
初めて物事をやるときの不安も誰かにこう言ってもらえると安心します。
I don't think I can do it.(僕には出来そうもないよ)
Don't worry,you'll get used to it soon.(心配ないよ、すぐに慣れるさ)
マークが泣いた夜
ブロードウエイのジャパニーズレストランで僕は働きはじめた。朝10時に店に入り、午後3時から5時までが休憩、その後夜の10時まで。
何もかもが初めての事でかなり大変だった。いちばんつらかったのは立ち続けていることだった。それに寿司バーのカウンターなのでいつも客の目にさらされている。仕事の内容は小間使い。職人さんに命令された事をやるだけなのだが、
業界用語がまずわからない。忙しい時は僕に苛立つ職人さん達の顔を横目で見ながら、こちらも精一杯のふりをするしかなかったが、仕事が終われば皆優しい人達で、精神的には何も疲れなかった。
何よりも面白かったのは寿司ねたの魚を英語で覚えることだった。客はアメリカンと日本人半々位で、僕としては断然アメリカンの客のほうが好きだった。
寿司を食べにくるアメリカンは、その当時はまちがいなく金に余裕のあるリッチな連中でなぜか、そのほとんどが太っていたように覚えている。
ローファット(低脂肪)、ヘルシーフードの代表的な食べ物だからなのだろう。horse radish もしくは green mustard。わさびのことだ。これが大好きなのには驚いた。
なかにはわさびだけ小皿に山盛りで別注文し、それだけを食べてその刺激を楽しむ連中もいた。本当に奴らは寿司の味がわかっているのかといつも疑問に思っていたのだが、、。
フロアーはウエイター、ウエイトレスの稼ぎ場所だ。彼等の収入はそのほとんどが客からのチップである。より多くチップをもらうためにサーブする。マークはそのなかにいた。
マークさん、100%日本人。NYに来て5年くらい経つといっていた。ロングへア−で、前はバンドでギターを弾いていたという。40がらみに見えたがはっきりとは聞かずじまいだった。
僕が音楽をやっているときいて一番親しくしてくれた、おだやかな人だった。
誰が見てもおそらくドラッグ中毒だと思うほど痩せていて、バイタリティーのなさそうなやさ男で、チーフウエイターをやっていた。
仕事仲間からはあまり好意をもたれずに孤立していたが、僕はそのどこか悲しそうなまなざしをしたマークさんが気になって、よく話をした。
僕がその店で働いたのはほんの10日位だけだったのだが、そのほとんどは仕事の終わった後、深酒で舌をもつれさせながら心境を語るマークさんにつきあった。それも僕はしらふで。
そしてやはり彼は深い悲しみを背負っていた。ドラッグにもやられていた。
NYに居続ける目的は消え、酒とドラッグだけがたよりの生活だった。
よくある話だが、ここNYのど真ん中で彼のなげやりな話しと、その姿を目の前にしていると、それはとてもリアルで、そしてまた、まるで映画のワンシーンのなかに紛れ込んだような感じもしていた。
僕のこの店での最後の日(実は前日、この会社の総合料理長のSさんからここからチェーンである居酒屋風の店に移るように言われていたのだ。今度はそこのフロントをやる事になっていた。マネージャー見習いだそうだ。先日、包丁でかなり深く指を切ってしまいここの仕事は合わなそうだと思われたらしい。ごもっとも。僕としても同感だったので、Sさんの配慮にはとても喜んでいた。)終わって誰もいなくなった店で、例によってマークさんと話していた。
マークさんは唯一の良き話し相手である僕がいなくなってしまうのが、とても寂しいかったのだろう。いつもより長い話しが進むうち、とうとう泣きだしたのだ。
今まで僕の体験した男の涙のなかで、それは間違い無く、一番か弱く、切なく、なにも返せる言葉が見つからないほどの虚しさを感じさせるものだった。
僕は彼が泣いている間、一言も声をかけれず、ただその細い手で僕の手を握りしめながら、小さく丸めた肩をただ見つめていた。 店を出て深夜のブロードウエイを二人で歩く。
51丁目のそこはもうさすがに人通りもなくひっそりしていた。 いつも低めの柔らかい声で話すマークさんは、なにかすこし嬉しそうなまなざしで、もう一ケ所つきあってと僕を誘った。面白い場所を紹介すると言う。
言われるまま付いて行くと目と鼻の先の安ホテルに入っていく。
彼はゲイではないと思っていたので何のためらいもなく付いて行く。ある部屋に着きノックをしながら
" Hi, it's me,Mark." と名を告げた。細めに開けたドアの中から白人の男がこちらをうかがう。
"Hi,Mark. Come on in." マークさんを確認し注意深く僕の様子をうかがった後、招き入れたその男は、片足が悪いらしくつえをついていた。100キロ以上は確実にある男は何やら、けだるそうにマークさんと、二こと、三こと会話すると、そのベッドだけでいっぱいになる小さな部屋の片隅の机から何か取り出しマークさんに手渡した。
紙で折りたたまれて作られた小さな包み。マークさんは50ドルを男に渡す。
コケインだ! これまた、映画のシーンそのものだ。すこし興奮して来る。
マークさんは彼に僕を紹介する。僕の名前をゆっくりと発音する。
" His name is Oi. Spell just O.I." つまり、マークさんは今度いつでも僕一人で来てもコケインが買えるように計らってくれたのだ。ひと包み25ドル。50ドルの包みもあるそうだ。
売人のその男は、僕の顔を頭に叩き込むかのように、まばたきもせず見つめて言った。
"Nice to meet you,Oi."
部屋を出るとマークさんはひと包みを僕に手渡して満足そうに言った。
「これでいつでも楽しめるよ。ここはNYだもの。」
これが彼の、精一杯で最高の僕に対する好意のプレゼントだったのだ。
勿論、僕は断る理由は何もなく、そのコケインを受け取った。
NYに今居るんだと言う想いがとてつもなくリアルだった。 その後、マークさんとは何回か会ったが(僕の新しい仕事場は前の店から歩いて2分の49丁目、おそろしく近い所への転勤だった)
この時から3ヶ月あとくらいに彼の消息が絶えた。出来る限りをつくして探したがとうとうわからなかった。
I wonder where you are now, Mark .